【別れには感謝したほうが良いよっていう高菜先生の理論】

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【別れには感謝したほうが良いよっていう高菜先生の理論】

3月って別れの季節って言うやんか。高校生なんかはもうぼちぼち卒業式やな。社長いわく「めちゃくちゃ仲良かったはずの友達となぜか高校卒業してから1度も会ってない」とかそういうのがあるらしいな。

別れって生きてると必ず起こることやな。学校の友達だけでなく、バイト先もそうやし。

就職しても自分が転職したら前の職場の人って会わなくなるしな。旅してても、遊んでても、別れの連続かもしれん。

そう考えると別れって悲しいような気がするけど、必然なんやろうなと思うわけや。

ワイも実は4月から京都に行くんやけどな。旅する猫やからまあいろいろ行くわけやけど、そうすると保護猫と触れ合える無料のアトリエにいる猫たちとは実質お別れやな。

まあノリでまた戻って来る可能性も全然あるけど、場合によっては今生の別れって場合もあるやな。

お互いにいつ何が起こるかはわからんし。

人間もそうやんか。高校の卒業式のときが最後になるなんてまさか思わないやん。

35歳とかになってふと思い出すことがあって「今どこで何してんのかなぁ」なんて思ったりして。

結婚と離婚もそうやし、言ってしまえば死別もそうやし、何でもそうなんやけど、ワイはな別れは良いことだと思うようにしてんねん。

“その人がその先の人生で必要ないからもう会わない”

のではなくてな。そうではないねん。

“今の自分になるために必要な人だった”

ということやねん。

良い役目でも嫌な役目でも、相手はその役目を果たしてくれた。果たしてくれたからある日いなくなった。

それは自分が相手を必要としなくなったのではなく、相手が役目を終えただけやねん。

だからもう会わない、会えない。

その代わりに次の誰かが必ず姿を現して、また次の役目を果たしてくれるわけや。

その中で良いこと悪いことを経験して、成長していくんやな。

つまり別れは2つの感謝なんや。

「教えてくれてありがとう」と「次の人との出会いのチャンスをありがとう」なんやな。

彼氏彼女や家族だけでもなく、友達、先生、ペット、上司なんかもそうや。

例えば手をけがしてもうスポーツができなくなったとか、そういうのも別れやな。

全部そうなんや。

“出会ってなければ”知れなかったことや気がつけなかったことがある。

その上で今があって、その上で今考えられることがある。

学校を卒業したら違う街の大学に行ったり、就職したりするやんか。そこでまたイケイケの先輩とかと出会うかもしれないしな。

転職したらイケイケの猫が職場にいるかもしれないやんか。ワイみたいに。

それは卒業しなければ、辞めなければ、別れなければ見えなかった世界であって、気がつけなかったことや。

だから悲しむより喜んだほうがええんや。

別れの必然をどうとらえるかで、たぶん人生って良くもなれば悪くもなると思うねん。

病んでる暇とかないやんか、実際。

キミあと2年後に交通事故にあうかもしれんし、そんなこともなにもわからん。わからんからこそ今日も一生懸命生きたほうがいいやんか。

病んでる暇とか本当にないねん。そんな暇あったらフライドチキンとか食べてたほうが幸せやんか。

まあ高菜先生はそういうわけで嫌なことがあったら

①食べる②寝る

これやな。これ最強。

「だから太ってるんですか?」

ってなんやキミ失礼な。ちょっとそこに正座しなさい!20時間!

高菜先生は太ってるのではなくて、方針としてあえて痩せないだけです。

それに腹が出てるのではなくて、出してるのです。あえて。3秒あればへこませられます。

まあそういうわけでな、別れは必然やから受け入れるしかないな。

ムカついたり泣いたり悲しんだり、そういうのは意味がないとは言わないけど感謝の逆の感情やから、ずっとやってると病むな。

出会いが欲しくなったら山梨においでや。3/24頃までは高菜先生おるからな。

そのあとだと京都やな。

もう京都の猫になってしまうからな。

一昨年は福岡の猫やってたけど。

旅レベルなら15都府県行ってるけど、そのうち全国制覇すんねん。

まあ会いたかったらいつでもどうぞ。暇やし。