弊社では様々なブランドの顔として高菜先生に出てもらっています。
理由は『高菜先生を日本一有名な保護猫にするため』です。
このページでは弊社でとりくんでいる猫の保護活動についてご紹介いたします。
保護猫活動を始めた経緯
2019年、弊社直営の店舗の横に一匹の猫が捨てられていました。
弊社代表junが発見し、足が折れていることに気がつき「放っておけない・・・」とそのまま保護して病院へ。
なんとなく直感的に名前を卑弥呼様にしました。
猫を飼ったことがなかったため右も左もわからないながらなんとか手術をしてもらい、一緒に暮らし始めました。
その際に手術費用をネットやSNSで募ったところ多くの方が募金してくださり、助けていただきました。
拾ってみたはいいものの代表は当時猫を飼える場所がなく、卑弥呼様はゲストハウス(コロナで閉店)で看板猫として生活していくこととなりました。
しかし当時まだ猫がいる施設だとゲストに周知ができていなかったため、ゲストが来る日は代表の実家に預けるというような措置をとっていました。
最初は「猫なんてぜったいむり」とか言っていた両親でしたが2日くらいすると「可愛すぎるから連れて行かないで!!!!!」とか言い始めてなんとそのまま卑弥呼様は看板猫を引退し隠居することになりました。
高菜先生との出会い
高菜先生は宮崎県延岡市で生まれました。
ご当地スーパーであるサンフレッシュむしかの裏で死にかけているところをスーパーで働く方に発見されました。
病院へ連れていく際、ゲージがなかったため高菜漬けを作るときに使っていた桶に入れて病院へ運んだそうです。
そのためとりあえず仮名で名前を高菜としたところ何となくそのまま定着してしまい今に至ります。
保護者の方がSNSにて「保護したもののアレルギーの為飼えなくて困っている。足を怪我していて病院では安楽死か足切断になると言われたがこのまま手術をしていいものか悩んでいる。」という投稿をしていたのを弊社社長のjunが見かけて直感的にすぐに引き取ることに決めました。
病院とスーパーの皆様の手厚い看病のおかげで何とか足もそのまま生き延びることができ、1ヶ月後にら宮崎から飛行機とバスで大移動し、山梨県へ移住することとなりました。
ゲストハウスで2代目看板猫としての生活が始まりました。
その後も怪我が再発したりしてさらに2度の手術を行いましたが、それにも耐えてすくすくと成長。
日々海外などからやってくるお客様と触れ合う毎日を過ごしている中で人間にもどんどん慣れていき、この頃にはもう恐怖心はありませんでした。
1歳を迎えるころにはすくすくと育ちすぎてしまい、子猫の時に比べると5倍ほどの大きさになりました。
すりだね専門店の顔に
2022年、体験教室富士家に併設する形ですりだね専門店ができました。
屋号はなんと【激辛高菜先生】に。
社長の悪ノリにより猫の名前が店名になってさらにパッケージまで自分の顔になるという珍事に。
どこの世界に猫の写真入りの唐辛子を売る店があるのでしょうか。
しかしそのキャッチーな名前ゆえに様々な媒体から連絡をいただき、テレビなどにも出させていただきました。
すりだねを販売しだした頃から2匹の猫を引き取った経緯もあり、保護猫活動に興味を持つようになりました。
一度保護猫団体を設立しようといろいろ調べて動いていた時がありましたが、保護猫活動をしたとしてもせいぜい保護できて1.2匹であること、またそれを続けていっても大きな成果には繋がらないため本当にこれでいいのか?と悩むようになりました。
成果の大小ではなく、1.2匹でも保護する活動は立派なことだと思います。
しかし、自分たちにはもう少し違う形で活動ができるのではないか?と考え始め、高菜先生を有名にするという結論に至りました。
保護猫である高菜先生の存在を商品やサービスを通して知ってくれた方が保護猫活動に興味を持ってくれたり、実際に猫を保護するに至るほうがより大きく社会に貢献できると思ったのです。
代表も代表の家族も会社のメンバーも、猫と暮らすまでは保護猫活動やそもそも猫についてもよく知りませんでした。
卑弥呼様や高菜先生と出会って初めて保護猫活動にも興味が出てきたので、少なからず同じように興味を持ってくださる方がいてくれるはずです。
自分たちが1.2匹保護するのではなく、保護猫活動に興味をもってくれた方が1匹ずつ保護してくだされば、それはかなり大きな数になると思います。
そういった想いで、高菜先生の商品やサービスをせっせとつくり、PRしていってます。
商品、活動の顔であり、会社の顔でもある高菜先生を今後ともよろしくおねがいします。
高菜先生プロフィール
名前:高菜先生
年齢:4才
出身:宮崎県延岡市
居住:福岡県糸島市
職業:個人事業主
特技:誰とでも仲良くなれる