【猫はお金がなくても困らないのはなぜか】
「猫に小判」っていう言葉があるな。
あれは猫に小判を与えても価値がよくわからないっていう意味なんやけどな。
豚に真珠なんて似たような言葉もあるな。
ワイは天才やから客観的に価値くらいわかるわ。
ただな、実際必要ないねん。
必要ないから価値はないのと同じやねん。
例えばキミが生まれつき足が悪いとするやろ。例えばや。
車椅子で生活してるとしてな。チャリンコもらったらそれいるか?
価値ないやろ?
“使えない”ものは価値がないねん。
ネコはな、お金を使うっていうことをしないねん。
だから価値がないねん。
人間も元々はネコと同じでお金は使えなかったんや。
つまり人間にお金は必須ではないねん。
「そんなわけあるか!」と思うやんか。
そんなわけがあるねん、これが。
例えばや明日の昼にキミの寿命が来るとするやろ。
そんで今はミッドナイトや。
のこり12時間の命だとして1億円もらったらそれ価値あるか?
大体店はしまってるしな、そもそものこり12時間でやりたいことってなんや?
お母さんに会いたいとか、もうあの人にお礼を伝えたいとか、そんなもんやろたぶん。
1億円使うことに必死にならないやろ。
不思議やな。1億円が目の前にあってもまったく価値がないねん。
ただお母さんに会うにしても交通費はかかるわな。
それが1000円か5000円かはわからんけど、それだけが”必要なお金”ということになるわけや。
それがなければ最後の望みも叶わないっちゅー事や。
現代社会においてやな、人間が錯覚してしまっていることがあるねん。
それがテクノロジーへの希望なんや。
テクノロジーっちゅーのはな、人間の拡張機能や。
ゲームのマリオあるやろ。
マリオもアレや、フラワーっていうアイテム取ると急に火の玉とかだしはじめるやろ。
どうなっとんねん。
まあ、ああいうことや。テクノロジーっちゅーのはな。
ロックマンやマリオみたいにパワーアップできるならしたいやろ。
ただフラワーが100円で売ってたらどうするかっちゅー話になってやな、お金がほしいっていうことになるんや。
しかし実際はその数字にはなんの意味もないねん。
100か200か300かに全く意味はないねん。
それはお金がキミを選択してるだけや。
「100円払えばパワーアップできるで」
「200円払えばパワーアップできるで」
っていう違いはな、価格があることによって100円ならだせる、200円なら出せないっていう感覚的な線引がされるやろ。
でな、無理なら諦めるやろ。
出せないから買えない。
当たり前なんやけど。
諦めたくない、買いたい、得たい。
誰もがそう思うわ。
200円あれば買えたんや。それが。
ほしいわな。
得られないとなんか不幸な気がしてくるやろ。
「なんであの人は買えるのに、私は買えないんや」って。
ずるいって。
「それは給料が少ないからや。あの人はたくさんもらってる!」って。
けどな、そもそもやで。
渋谷駅前にビル建てたいと思うか?
いくらかかるか知らんけど、まあ高いわ。何億円か知らんけどな。
建てたいと思わないやろ。
キミ渋谷駅前にビル建てられなくて悔しくて寝れないとかあるか?
ないやろ。
諦める以前に買いたいとさえ思わないねん。手が届かなすぎて。
そもそもそういうもんなんや。
人間の本来もつ機能を大幅に超えるテクノロジーというものが”なければ”幸せではないというのはちと違うんや。
そしてあれば幸せってのも違うんや。
これはテクノロジーを否定しているわけやないで。
ただな、人生が残り12時間しかないとしたらやで。
どこまで行く?ヨーロッパは無理やろ。
ヨーロッパに会いたい人がいたとしても諦めるやろ。
なぜなら時間的に無理だってことがわかるからや。
なんぼお金があっても無理なもんは無理なんや。
そういう場合って人はなんの選択をするんやろうな。
身近にいる人とやっぱり最後は過ごしたいやろ。
車みたいに早く走れなくてもいい。
エルメスの指輪がついてなくてもいい。
パソコンなんか開きもせんやろ。
目の前の大切な人と抱き合う時間が8時間ほどあって、後は1時間くらい馴染みの街を散歩して、ちょっとご飯でも食べて、最後には何かを言うんやろうな。ありがとうとか愛してるとかな。
その瞬間を人はなんと形容するんやろうな。
お金ってな、いらない訳では無いけど実際は必要でもないねん。
「それは残り12時間だからやろ」って思うやろ。
けど時間の長さには意味はないんや。
そういうことではなくて、今目の前にあるものを大切にしたいと思うことが本当の幸せで”無いものが無い”事が不幸ではないということや。
猫はそれがわかっとんねん。
キミがもし今不幸ならな、それは無いものに希望をもち過ぎなのかもしれないな。