ワイは本当に野良猫ですか?本当にそうですか?
まあな、今日も哲学猫高菜先生のブログを書いてくわ。
今日ふと思ったんやけどな、外をうろちょろしている猫ってな、自分のことどう思ってんねやろーってな。
まあ「吾輩は猫である」とは思ってへんな。確実に。
なんでかというと彼らには【猫】という概念がないねん。
けどな、キミは野良猫みたら「野良猫や!かわいい!ラブリー!」とか言うやろ?
キミは外をうろちょろしている猫を”野良猫”と認識しているってことやな。
じゃワイはなんや?
野良猫か?保護猫か?天才か?イケメンか?
まあ一般的に言われてるのは天才イケメン軌跡の猫高菜大先生何やけどな、まあそこは保護猫やな。
そしたらな、キミな、保護猫と野良猫の違いってなんやねん。
保護猫は元野良猫やろ。
野良猫が人に助けられたら保護猫に進化するんか?
けどな、なにかが変わるか?
変わらんな。
そして当事者たちは自分のことを野良猫だとも保護猫だとも思ってへんわけや。
じゃあキミが保護猫だといっているそのモフモフした動物の正体は一体何なんやろか?
こんな事考えてると「ヒョっ」みたいな顔になってくるやろ。
じゃあな、例えば目の前にトンカツがあるとするやろ。
トンカツを醤油と砂糖で煮て、卵で閉じたやつを作るやんか。
それをご飯に載せたらカツ丼やな。
皿に乗せたら煮カツやな。
どういうことやねんって思うやろ。
改めて考えてみると。
それらはそもそもカツ丼でも煮カツでもなくトンカツやろ。
さらに言えば豚肉やろ。
というか動物やろ。
つまりな目の前のそれは動物やねん。
「何言うてるかわからん!」ってなってるやろ。
これはなコンピューターの考え方や。
コンピューターは1と0しかないやろ。
01.10.11.110.てな。
この1ってのはつまりあれやなカツ丼とトンカツは同じ豚肉っていうことやしな、猫と豚は同じ動物ってことやしな、人間と動物も同じものですねってことなんや。
わかるか。
今現代はな、そうやってできてんねん。
コンピューターが支配するっちゅーことはな、人間と猫がイコールになるっちゅーことなんや。
ところが人間も猫もそもそもは自然の産物やろ。
自然はな、同じものがないねん。
例えば木には葉っぱがついとるやろ。
2.3枚むしってよく見てみ。
全部柄が違うやろ。
なんでそんな事すんの?って思わん?
でもな、それが自然やねん。
猫も同じでな、そこら辺の野良猫捕まえてよく見てみ。
ワイとは全く違うな。
まあワイは特に天才やしかっこええからな、そりゃ違うのはしゃーないけどまあ違うねん。
それを捕まえて「お前は野良猫」「お前は保護猫」ってやってんのが人間や。キミや。
その究極形がコンピューターや。
つまり何がいいたいかと言うとな、人間はコンピューターっぽくなっているっちゅーことや。
本来全然違うものをざっくりとまとめるようになった。
それゆえによく見えなくなったものもあるのかもしれへんな。
人間の世界で言うそれは肩書や。
一人ひとりは葉っぱと同じやな。
こんだけ膨大な人間がいて指紋が同じ人間がいないんやからな。
人間もそれぞれ全く別なんや、本当は。
キミはキミ、ワイはワイやろ。
なぜなら人間もまた自然なんや。
自然はすべてがバラバラや。
ただこれからの世界はな、AIやらコンピューターに追従して生きていくようになるねん。
そうすればな、個体はもっともっとわかりづらくなるはずやな。
一個体でいることと、大きな枠の中に入ることで全く人生の意味合いも変わるな。
キミはどっちがいい?
ただそれだけの話や。
ワイは唯一無二の高菜先生やから。
ワイは野良猫でもなく、動物でもなく、高菜先生や。
そうやって生きていくことはな、別におかしいことやないんやで。