キミも猫みたいに生きてみたら?
これはな、ワイの持論や。
ワイちょっとだいぶ哲学猫やからな、たまにこういうブログも書きたくなるんやけどな。
キミは悩みがあるか?
ワイはないな。
猫やからな。
社長はあるっぽいな。
人間やからな。
悩みがないなら猫になりたいような気がするやろ。
けどそれは無理やねん。キミは猫ではないからな。
なに当たり前のこと言ってんねんって思ったやろ。
キミがもし猫なら、たしかにキミは人間としての悩みを持つことはないねん。
なぜ人間が悩みを持つかわかるか?
キミに限らずやけどな、人間が悩む理由っていうのはな、人間だからこそ悩んでいることなんや。
例えば猫はお金使わんわな。
税金とか円安とか1ミリも関係がないな。
だからお金で悩むことはないな。
例えば猫は就職活動せんわな。
それゆえに髪型もメイクも服も無頓着やな。
相手にどう思われるかとか関係がないな。
だからおしゃれも、おしゃれするためにお金がないことも、悩みにはなり得ないねん。
じゃあキミがなぜそういうことで悩むのかというと、それはキミが人間を対象としている世界に住んでいるからや。
猫と同じ空間にいても、同じ時代を過ごしても、キミの世界はまったく別でできているっちゅーことや。つまりな。
ネコは世界を世界として認識し、自分を自分として認識し、それはイコールやねん。
つまり自分が世界であり、世界は自分であり、目の前の木も、草も、虫も、そして人間も同じ世界にある概念でしかないねん。
ところが人間の世界では自然が1でそれと別で人間が存在するやろ。
その人間はどう考えても自分と違うやろ。
彼女、親、友達、先輩、子供、その辺ブラブラ歩いてるニート、コンビニでキレてるオッサン。
どう考えてもも同じではないやろ。
相手のことが好きか嫌いかはさておき、とにかく自分の世界の中にあらゆる他者が存在しているっちゅー事や。
つまりや、わかりやすく言うとな、人間の世界は他者により構成されてる割合が高く、人によってはそれが100%になってしまっているわけや。
自分の世界の中に存在する他者が嫌な奴ばかりやとめちゃくちゃ辛いやろ。
どうしたら上手くいくだろう、どうしたら楽しくなるだろう。
こういうことは大人になってからもずっと付きまとうことやな。
そもそもなぜ悩むのかと言うと、それは幸せになりたいからやろ。
登場人物全員が自分と同じ思考で自分と同じ趣味で自分と同じ食べ物が好きだったら喧嘩なんかするか?
自分がデブならみんなもデブや。
みんなデブなら痩せる必要がないやろ。
痩せたいという悩みが消えるわな。
話が合わないなんて悩みが消えるわな。
けどそんなことはありえなくて、きれいな人もいる、痩せてる人もいる、可愛い人もいる。
それを可愛いという他者がいる。
その人と自分を比較してしまうこと、自分の方を見てほしいと思う気持ち、そういうことが上手くいかないと不幸。
他者からの評価が幸せに直結してるような気がするからやな、それは。
おしゃれをしようとか、ダイエットしようとか思うわな。
けどジムに通うにもお金はかかるし、服も高いやろ。
お金が必要や。
効率よく働きたいけど、なかなか時給がいいバイトが見つからなかったり、見つかってもうざい先輩がいたり、そんなことを愚痴れる彼氏もいなければイライラするやろ。
突き詰めると、幸せになりたいということを、誰かに委ねてしまっているからやな。
誰かがいて、評価されてこそ幸せという考え方が人間主体の人の世界や。
人からの評価を得られれば幸せであり、評価を得られなければ不幸である。
簡単に言うとそんなところや。
ところが猫はそういうの1つもないな。
なんでかというと猫はな、自然やねん。
人間は、不自然やねん。
カッコいい、可愛い、おしゃれなんていうものはみんな不自然でな、この世に元からある概念でも物質でもないねん。
もしそれが本当にカッコいいのであれば最初から備わってるはずやねん。機能として。
孔雀とかモテるためにあの派手な羽があるやんか。
人間はモテるために不自然を求めんねん。
みんなと同じじゃないからこそカッコいいのであって、結局自分の世界にいる他者が自分と違うのではなく、世界にいる他者と自分を違う者にしたいのは自分自身なんやな。
人はそれを文化と呼ぶねん。
だから悪いことでは決してないし、逆に言えば猫には絶対にできないことなんやなそれは。
ただ幸せの基準を10%でも人間から外してみると意外といいってことがあるねん。
他者からどう思われるかとかではなくな、ご飯が美味しいだとか、晴れていて嬉しいだとか、風が気持ちいいということにもしも本気で幸せを感じることが出来たなら、人はある程度猫みたいになるということや。
自然的に生きるということや。
今幸せが遠いと思ったら幸せを感じるポイントをずらせばいいだけやねん。
ワイみたいにゴロゴロ寝てみ。
幸せとはな、当たり前にあるものをただ感じることなんや。